ぬるみんでいる。

家も好きだけど館が好き。

「夏色のおもいで」のわたし。

7月にリリースされる松本隆さんトリビュートアルバムの「楽曲」の思い出を置く場所の1。
うたの頃のじぶんのおもいで。

 

オリジナル1973年10月5日

チューリップ「夏色のおもいで」作詞:松本隆 作曲:財津和夫

 

「夏色のおもいで」を吉岡聖恵さんが歌うという。

ああ、なついろのおもいで。

風街のガシャポンくるりと回したら夏色のトイカプセル。

記憶がパカンと開いた。

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「姫野くん」「財津さん」「わたしは上田さん」姫野さんは「くん」付けだ。

通った女子高の先輩たちはチューリップのファンだった。

生徒会の会合で歌うのは「切手のないおくりもの

文化祭、フォークソング部のおねえさんたちは一日中、入れ替わり立ち替わりほぼチューリップの歌を歌っていた。1979年。

わたしは音楽室に入り浸りずっとそれを聞いていた。そして歌をたくさん覚える。

途中、男の先生がギターを抱えオリジナルの歌で乱入し、先生に恋に落ちる友達をみるのも女子校ならではだ。

いろんなフィルターを知った3年間。

「虹とスニーカーの頃」がヒットしたときは、たぶん学校中が沸いた。

 

好きなメンバー被りは避ける内輪の暗黙のルール。わたしは眼鏡好きなのでグラサンの上田さん担となる。「夏色のおもいで」の印象的なドラム。演奏もみたことないけれどスティック持ったフリで腕を動かして聞いていたような記憶もある。

「この歌詞、財津さんじゃないんだ」

 

夏休みの勉強合宿へのバスでもチューリップを歌ってた。姉が拓郎さんのファンなの、という友人とラジオをこっそり持参し「今夜(拓郎さん)篠島、山の中だからラジオ無理かな」

 

当時チューリップはアルバム「Someday Somewhere」リリースでラジオ出演も多く書き起こしを分担したノートを見せ合い共有した。上田さんのことを「かまぼこ」と書いている。失礼だ。なぜだ?

 

女子ばかりの休み時間は、髪を梳き合う美しいクラスメイトもいたが、何人かは歌詞ノートを開いていろんな歌を歌っていた。東芝EMI勢がめちゃくちゃ強かった。「ここ歌詞ちがう」と添削もしあう。歌詞もラジオから聴き取って写していたから真剣に聞く。

 

チューリップのフィルムコンサートが隣県で開催と知り、親に嘘をついて学校帰りに見に行き、すぐにバレて叱られた。そこから「高校卒業までコンサート禁止」という親の思いつきの罰に縛られる。そのきっかけがチューリップだったのも皮肉のような。

 

なんてかわいいわたしたち。かわいかったなわたしたち。

そんな学生時代を送っていたことも遠い過去なので忘れていた。

 

「夏色のおもいで」を吉岡聖恵さんが歌うという。ああ、なついろのおもいで。

当時は仕方なく通ってるというきもちの3年間だったけれど、このタイミングでチューリップに纏わるかわいい記憶が浮き上がってきた。

その時も歌を追いかけていたんだ。

風街のガシャポンくるりと回したら夏色のトイカプセル。

記憶がパカンと開いた。

 

松本隆さんがバンドはっぴいえんど解散後

「作詞家」としての最初の作品が「夏色のおもいで」

わたしが「チューリップ高校」でどっぷり浸かったのは

「夏色のおもいで」から5年6年後だ。

松本さんは大活躍し「明星」「平凡」の歌本のなかの名前の人だった。

 

そのノートに「外は白い雪の夜」も消しゴム跡アリ、鉛筆書きで残ってる。

今となっては宝物。

トリビュートアルバム公式サイトにある松本さんのコメント。

columbia.jp

 

そこにアルバムタイトル「風街に連れてって!」と「夏色のおもいで」の繋がりが語られている。ヒッ!ヒッ!と息を吸い続けてしまった。

「君をさらっていく風になりたいな」さらわれていたんだ、わたし。ずっと。

作詞家としての「最初」の作品に込められた「風になりたいな」 その具現。ああほんとにすごい。いままで気づかずにいた。

 

画像は当時のラジオの書き起こし。モコさん(高橋基子)の番組から。

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1979年ラジオ書き起こしノート

 

 

※※※週末に2作ずつアップしたら発売日までには全曲いけるとよむ。

解説ではなく私感なのでゆるりと。

 

タブレットからの入力とPCからの入力では見え方も違うしスマホからは読みにくいことこのうえなし。微調整しつつ今日も風街をおもう。