ぬるみんでいる。

家も好きだけど館が好き。

「ルビーの指環」のわたし。

 7月にリリースされる松本隆さんトリビュートアルバムの「楽曲」の思い出を置く場所その5。
過去ともうちょっと過去と、ふたつ過去があっても美しい時系列構成が魅力。だれもそこには到達できない域。

 

以下のエピソードは20年ほど前にblogというものが世に出る前あたりに集合的素人エッセイ(映画のプロモの一部)のようなページに載せていたのでパクリかと思われるかもしれないが、それもこれも同じわたしである。

 

ルビーの指環は持っている。でもほんとうのルビーかどうかわからない。購入したのは25年ほど前だ。

 

寺尾聰さんの「ルビーの指環」リリースは1981年2月5日発売。ロンバケの一ヶ月半前。1981年はロンバケ基準で足し引きします。当時女子高校生、クラスは「寺尾さん渋い」「絶対に結婚する」と宣言まで聞いた記憶がある。寺尾さんはオトナだった。結婚までの道のりは大変だ。わたしは祖父母と同じ部屋で生活していたし父上の宇野重吉ファンだったので「宇野さんの息子さん」という捉え方だった。

「指輪」ではなく「指環」というのが松本隆っぽいなー、とそこをチェックする。とにかく歌詞から入るのは一貫。アルバムも複数の同級生が購入し休み時間にレコードジャケットがあちらこちらに移動する。貸し借りの順番にいれてもらった。歌詞カードの作詞家名と歌詞を読む読むよむ。

すごい歌詞。いまも当時も感じることは同じ。そして聞き飽きることもない。

 

枯れ葉で季節を誘導・7月生まれの彼女に8月に愛を誓う・風の街・冷める(夏ではない)・捨ててくれといいつつ指に探してしまうそのせつなさ多くない色彩、時間の横移動それによってドラマが浮き出るんだけど、歌詞は短い。でも聞くこちらは2時間ほどの映像を想像する。台詞とか裏表のシチュエーションとかを与えてくれるこの名曲。寺尾さんのメロディ・井上さんのアレンジの妙ももちろんあるが、やはり詞の「行間」だ。いい歌だなー。

 

わたしがルビーっぽいのを手に入れたのは1997年の秋。父が亡くなった深夜に母が家の女に集合をかけた。父の実母である祖母・母・兄嫁1・兄嫁2・わたし。「おとうさんのへそくりがでてきた。わたしたちで分けてちょっとだけいいものを買おう」と。兄たちは蚊帳の外。闘病が長かったこともあり我々は覚悟のもとに数週間すごし次は葬式の準備だ、てきぱき。その隙間の「へそくり」

兄嫁1が「なんか宝石を買おうか」と切り出し「ああ、みんなでそうしようか」となった。わたしは宝石類はまったく興味がなかったが、いつか誰かにこの逸話つきでプレゼントできるかも、と思い同意した。こころの奥では「消えてなくならない」ことに気づき納得したのかもしれない。消えてなくならないから歌詞の中では「捨ててくれ」と言い、その反面それを探してしまうのだ。

 

葬儀も終わり数日たって近くのデパートの安易なアクセサリー売り場に祖母と出向いた。祖母は息子を亡くしたばかりだったが表向きは平静を装う強い明治女だ。それほど高価ではないコーナーでいくつか見せてもらう。祖母は黄色の石がついたなにかを選んだ。わたしは「ルビー」を買うチャンスだと思った。父すまん。これを逃すと一生「ルビー」に縁がない。予算内の「ルビーで。指環で」

 

寺尾さんのこの歌を聴くとときどきこのへそくりのルビーを思い出す。それも供養じゃないか。松本隆さんの45周年ライブのときの寺尾さんの陽気な「ルビーの指環」を聞いてわたしは泣いていたような記憶もある。そしてコレを打ちながら泣いている。へそくりありがとう。捨てられないよ。

 

この歌はずっと歌い継がれるだろうし、そのときの「ルビー」の選択は正解だと思う。今回横山剣さんがカバーするという。紹介動画で歌唱をきいたときに横山さんの節回しに寺尾さんへの強い敬意を感じた。さすが。

風の街のなかの横山さんぴったり。また歌詞が立体になる。くもり硝子現在→過去B→過去A→過去B→くもり硝子過去B→2年後の現在×2 でいい?足りない?過去ともうちょっと過去と、ふたつ過去があっても美しい時系列構成が魅力でありもうだれもそこには到達できない域。

 

横山さんのコメント

https://youtu.be/tzY3xoHra8U

 

リングのサイズを直してもらってまたはめてみようかな。この赤い石がほんものかそうではないかは重要ではない。実家の姓を名乗る女たちの喪失の中の共有の思い出である。

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